東南アジア周遊 その10 ハノイにてゲテモノを喰らう
チン・ナイチン様 前記事のコメントありがとうございます。
記事にするというご要望に沿う形にできませんでしたが、返信をしておきましたのでお時間のございますときにご一読ください。
この記事は残酷(と感じるかもしれないような)描写が含まれます。
前回までのあらすじ
今を生きよう
ゲテモノ食を巡る
僕はその国固有の景色や文化、そして人々の生き方を見るために旅をしている。
その中でも誰でもわかりやすく、触れやすいものが食文化であると思う。
自国とは違う食文化を「ゲテモノ」と短絡的な表現するのはあまり好きではないが、簡潔さを踏まえここでは許していただきたい。
前記事でも述べたが、ベトナムは「犬や猫を殺したり売買したり食べたりすることは残酷で、文明化・近代化した都市として観光客らに悪い印象を残す」として一部の食文化を控えるよう呼び掛けている。
先日、鬼才イーライロスの「グリーンインフェルノ」という映画を観た。
この映画はただひたすら残酷描写が続き、好みがハッキリ分かれる。
「ただのグロ映画だ」と嫌う人もいれば「目が離せない」という人もいる。
僕は後者だった。
内容としては、未接触部族の住む未開のジャングルを開拓しようとする悪質な業者を、主人公たちは保護活動家として阻止しようとするのだが、守ろうとしていた部族が食人族だったので食べられちゃうという全編通して皮肉のこもった映画だ。
内容もさることながら、映像作品としての出来の良さにも脱帽だった。
食人族が主人公の仲間を食べたり殺したりの残酷描写が大半なのだが、そもそも食人族は快楽や遊びで人を殺さない。純粋に「食事」のために人を殺し、目をえぐられ、悲鳴をあげ解体され、窯に入れられ焼かれる描写は彼らにとっての「調理」なのだ。
食人族と我ら文明人は違うという主張も分かる。
先進国が歩みを揃え、残酷だと感じる食文化を排除するのも間違いではないと思う。
ただそれが生活の一部となっている人もいることを忘れてはならない。
古くからハノイに住む人たちはこの文化を残したいと言う。
僕は消えゆくかもしれない文化に敬意を払い、それを感じたい。
どんな味がするのか、食感は。ただの自己満足の知的探求心を満たす行為だと言われればそれまでだ。
ハノイにてゲテモノを喰らう
消えゆく食文化は食〇ログでは見つからない。ましてや異国人なら歩いて聞きまわる他ない。そうしてようやく出会ったのが「ホビロン」。一般的に「バロット」と呼ばれている知る人ぞ知るメジャーな食べ物だ。
味はほぼゆで卵、ほんのり鶏肉の味がする。しかし、ゆで卵のパサパサ感がなく、プリプリしている。あのパサパサした感じが嫌いな僕にとっては最高の食べ物である。とても美味い、クセになる。
ようやく出会えた珍味に少し喜ぶが違う。
僕が過去に見たホビロンはもっと鳥っぽくて、卵の殻からコンニチワしていた。
少し残念に思いつつ次の珍味を巡る。
自粛を控えるよう呼び掛けている食文化には意識的に探さないことには出会えず、観光客の多い場所から離れてみた。
タクシーを使い中心地から少し離れたローカルな市場でそれと出会う。
犬肉だ。
現地で見たときは感動のほうが勝っていたが今こうして写真を見返すと来るものがある。ましてやキーボードを叩く傍に愛犬のくうたが寝ているから尚更だ。
注文して席に座るが、そもそもこんなところに観光客がいることに加え犬を食べようとしているかなのか周りから奇異な目で見られている気がする。
いざ実食。(バックアップできてなくて写真がありません)
皿に淡々と置かれた肉はサムギョプサルのような味気のないビジュアルだ。
味はというと質の悪い鴨系の鳥のような食感に近く、最初は安物の肉みたいな味で別に抵抗なく食えるが噛めば噛むほど犬の風味が鼻から抜ける。
犬の風味というとパッとしないが犬をハグしたときに臭いとでも言うべきだろうか獣臭だ。
脳裏に愛犬のくうたがチラつく。
可愛いなぁ、帰国してどう調理しようかなぁ。
次回、さらばハノイ